【コラムのようでただの書きなぐり】Far Cry5 の発売日が近いので、3~4(特に4)について軽く整理してみました

こんにちは。
今回はいつも書いてるようなレビューだの感想ではなく、ちょっと気になってたゲームについての考えとか着地点を自分で整理したいから書きなぐって見返すってコーナーでござんす。
なのでいつもあんまり推敲もしてないです。見やすいようにスクショを取ってたりもしてないです。ご勘弁を。
ビール片手に酔っ払いが書き上げたもんだと思ってみてください。

Far Cry 最新作を始める前に

さて、本題に入りましょう。
2018年3月、いよいよFar Cryのナンバリング最新作が出ますね。
ここでひとつ思い出したのは「FarCry4って、結局なにを伝えたかったんだ?」ということである。
FarCry4は、キラットと呼ばれる国にて主人公Ajay Ghale(以下、AJとする)が彼の母の遺灰を故郷キラットに撒いてほしい、と頼まれてキラットに行き、
そこでキラットを支配するパガン・ミンと呼ばれるものに会い、更にミンに立ち向かうレジスタンスに会い、レジスタンスたちにAJは協力し…というのがあらすじだ。
FarCry4は、3から更に進化し、システム、シナリオ、ゲームプレイすべてが進化したように手に取ったときは思えた。
が、どうにもこの作品は、シナリオで最後滅茶苦茶やらかしてくれたのだ。まずそれを語る前に、FarCry3について語らなければならないので、語っていこう。

FarCry3 という怪物

4の前作3は、それは素晴らしいゲームだった。
ゲームシステムこそ今やるときついものの、ルークアイランドというまるで快楽のみで包まれたような舞台、徐々に狂気に包まれていく主人公、そして最後の「選択」。
シナリオにおける全てが良い「ゲーム」だった。そう、「ゲーム」だったのだ。
ジェイソン・ブロディは、某考察記事を鵜吞みにしているわけではないが、まさにゲーマーの姿そのものだ。
現実生活での苦境に悩む一方、ルークアイランドという舞台は全てを忘れさせてくれる。銃、ヤク、そして頼りにしてくれる恋人。快楽と幸福まみれ。
全てが思い通りにいくゲームで、彼はプレイヤーだ。
彼が麻薬畑を焼きに行くシーンで、私は言いようのない高揚感に包まれた。まさに、あれがジェイソン・ブロディと私が、プレイヤーという立場を通じて一体となったときであり、あの時の感情は強く印象に残っていたし、今でも覚えている。
そしてずっと兄の仇という大義名分もとい「メインミッション」のもと、バースという敵に言われた言葉ではっとなった。
ゲームプレイとシナリオがいびつに、しかしはっきりとした形で繋がってしまったのだ。
そしてバースもまた、ジェイソンが狂気に囚われ続けたらどうなるかを示した姿なのだと気づいた。 遂にはバースを殺し、その他の立ちふさがる敵すべてを殺し、最後の選択にてわたしはゲームを続けることを選んだ。
そして最後にシトラとジェイソンは「行為」をし、シトラが胸にナイフを突き刺すことで、このゲームはエンディングを迎える。
ただただ、衝撃と胸に突き刺さるようなことが多い作品だった。
これがHotline miami, Spec Ops:The Lineと肩を並べる3大メタフィクションと言われていたことに残り2作を後でやったことで私も強くうなずけた。
皮肉、皮肉、皮肉の連続なのだ。それもプレイヤーはオープンワールドという色々やっていいですよと言われた環境でありのままやり、言われるわけだ。
ひとしきり語るとこんなところだ。
では、FarCry4はどうだったかを語っていこう。

あまりにもあっけないラスボスの、次回作

上気したように、FarCry4はキラットという国が舞台だ。そこでAJはレジスタンスに救世主のように祭り上げられ、国を独裁しているパガン・ミンを倒してくれと頼まれた。
そんな話が「普通の」FarCry4の話だ。
私は順調にゲームを進め、パガン・ミンのもとまでたどり着いた。私は驚いた。その時彼は毅然とし過ぎていたのだ。このとき私は、「本当にこいつを撃つべきなのか?でも撃たないでどうなるんだ?今までかけた数十時間は、これのためにあったんじゃないのか?」そんな疑念が頭を支配した。しかし、そう考えているうちにも彼は淡々と話し、イベントが進んでいく
ためらいながらもついに彼を撃つ。そこで現れる「王は死んだ」の文字と、スタッフロールと、陽気なBGM。
目が点になったとはこのことだった。それと同時にエンディングを見終えた後、妙な苛立ちが襲った。 まるで「頑張ったね、お疲れ様(笑)」と言われているような気分だった。
そしてさらに追い打ちをかけたのが、レジスタンスのとある派閥のリーダーが、おいおいおいそれじゃパガン・ミンと変わらないじゃないかみたいな行為を平然とやってのけていたことだ。
なにが正しい選択だったのかわからなくなった。

コントローラーやマウスを握るのをやめるのが正しかったのか

そんなときとんでもないことを知った。
とどめを刺されたといっても過言ではない。ご存知の方も少なくない、序盤パガン・ミンの言う通り待つとEDがはじまるやつだ。
3ではプレイヤーの姿勢を皮肉ったが、4ではまさかプレイをし英雄になりたがるそんな弱い心を皮肉られた感じだった。
思えば、確かにキラットはAJが働いても、これで正しい方向にいったのかという疑問が拭えない感じではあった。
彼の父も、資料を読むとなんだこいつはと思ってしまう人物だったからだ。
パガン・ミンの言うとおり、彼を待ち、母の遺灰を撒き、それで終わりでよかったのだ。
言いつけに逆らうことでなにかあると思うか?確かに存在はするが、必ずしも「いいエンディング」が迎えられると勝手に妄信しすぎた結果だよと、すごくやられた気分だった。
こうなると、FarCry4に対する見方は大きく変わってくる。
キラットで過ごした日々がもし「プレイヤーがAJというキャラを通して英雄譚を築き上げたいと願った結果」なら――――、パガン・ミンという存在の不透明性も納得できる。
パガン・ミンは作中では悪のカリスマ、残虐な独裁者として扱われる。
確かに彼はそういう面もあるかもしれない。しかし、彼がそうだと言い切れるには、あまりに彼という人物が見えてこないのだ。
3のバースとは違う、悪であるはずなのにパガン・ミンという人物がはっきりしない。
なぜなら、パガン・ミンはもう個を指す名ではなく、悪という概念を指した固有名詞でしかなくなっているのではないか?
キラットは、いくら倒しても第2.第3のパガン・ミンが現れる悲しい国だ、ならコントローラーを置いて、マウスから手を離して起動をやめてもいいんじゃないか?
そんな気持ちにすらさせてくれるゲームだった。
こう書いてみると、3とはまた違った方向で、4もまた異形の生物なのだなあとプレイして数年たった今、ようやく勝手に納得した。いや、解釈が間違ってたら大変申し訳ないですが。

Primalを挟んでの5

圧倒的なヘンテコ生物である3と4を経て、Ubiは転換が欲しかったのか、Primalを作った。
これはまた別のアプローチだ。ゲームシステムこそ3や4のシステムを踏襲しているものの、やっているシナリオは王道。
ひねりもなく終わった。少し物足りないなあとは思うが、ゲームシステムについて常にシリーズにおいてマンネリを打破したいという気持ちが大いに見受けられたのは収穫だったと思う。
そして、待ち受ける5だ。
私はあまり事前情報を仕入れてないのだが、カルト教団が敵らしい。
教組の弟がかなり狂気に満ちたキャラということで、楽しみでしかたない。はやく発売日になってほしい。

さいごに

こんな感じでコラムのようなただの殴り書き終わります。
初めての試みですがまあ試みっていってもなんか変化球投じてるわけでも工夫してるわけでもないので…
こんなことをやれるゲームがもっと巡り合えたらいいなって思います。今後ともよろしくお願いいたします。