FarCry 5 レビュー。 「祝福」と違和感の霧に包まれたモンタナ

このエントリにはネタバレが含まれています。お気を付け下さい。

FarCry3のジェイソン・ブロディから4のAJ, そして5において、主人公という存在は3~5に行くにつれて無個性化していった。
なにも別にこれは悪いことだけではない。なぜなら、プレイヤーの起こす行動と、主人公の設定上の性格などにズレが生じると違和感を覚えるからだ。 ただのアクションゲームやアドベンチャーならまだしも、ある程度自由な行動をしても大丈夫なオープンワールドゲームならなおさらだ。
事実、同社が手掛けた Watch Dogs 2において、主人公であるマーカスの性格とは裏腹に、プレイヤー次第で簡単に銃や車で敵対する勢力に簡単に殺人を行えてしまい、違和感が生まれた。
この違和感がなにも悪いことでない――――ということはまた別の話としておくとしても、FarCryシリーズを手掛ける上でジェイソン・ブロディという強烈なキャラから一変して新たな主人公を作るには、個性を少なくしていく方がいいと判断したのだろう。
逆に、ズレが生じるはずのジェイソン・ブロディとプレイヤーとの行動がとても噛み合ってしまったのも、3が良い作品である理由の一つだが。
4ではエイジェイ・ゲールという、レジスタンスの長の息子というかなり重要な設定なのだが、あまり主人公の感情を出さなくなった。理由は上で述べた通りだろう。
そして、5でキャラクリエイトでき、男女まで選べるようになった反面、主人公の個性は「ジョセフ・シードを逮捕しに行くチームのルーキー」のみとなってしまった。これがどうなったと考えたかは、後述しよう。
さて、前置きが長くなってしまったが、Farcry5のレビューといきますよ。

舞台はモンタナ州ホープ群という、架空の町

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ホープカウンティでは「エデンズ・ゲート」と呼ばれるカルト教団が幅を利かせていた。
主人公たち一行は誘拐し強引に入信させるプロジェクト・エデンズ・ゲート、通称ペギーの頭であるジョセフ・シードを捕まえるため、このホープカウンティを訪れる。
しかし主人公たちは捕まえてヘリに護送しようとしたときペギーたちの妨害に会い、結果散り散りになってしまう。
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なんとかペギーから命からがら逃げた主人公は現地の住民と結託し、ペギーをこの地から駆逐するのが目的となっていった。
ホープカウンティは魅力的な舞台だ。一面に広がる麦の畑や岩山、そしてゲームとしては次々に発生する自動生成のイベントが、プレイヤーを常に飽きさせない。
今まで批判の的に挙げられてきた「鉄塔登り」も、なくなった。序盤でダッチが皮肉ってしまうほどには、ゲームとして魅力的な舞台をUBIモントリオールは仕上げてきたのだ。
一方でホープカウンティでなにかをこなそうとすると、シード兄弟が主人公に対して問いかけや挑戦、自分の行ってきた行動への不安を煽るような行動を仕掛けてくる。
いや、それ以前に、ファーザーの手錠をかけるところから問いかけは始まっていたのだ。
そういった漠然とした違和感、疑問を更に増やすかのようにシード兄弟は投げかけてくる。
「自由だと思ったか?」 「あなたは何も理解していない」
そんな言葉が度々投げかけられる。相手は暴力とヤクで支配してるカルト教団の幹部のはずなのに。
しかし、そのような違和感を持つことに対し、IGNjpの記事ではこう開発者の言葉が書かれている。

「一番重要なポイントは、このゲームのユニークな世界を構築して、それぞれ異なる自分だけの考えを持っているキャラクターに命を吹き込むことです。彼らの考え方は互いに衝突するもので、プレイヤーは2人のキャラクターが議論するオープニングから、すでに『誰が正しいの? 誰に従えば良いの? ねえ、誰が正しいの?』と考えなければなりません。
そこには明確な解答がないのです(※注:現時点では、ゲームの中で実際に倫理観に関する選択ができるかどうかはまだ明らかにされていない)。この世界はめちゃくちゃで、不安定で、そしてあらゆる物の見方に満ちあふれています。このような世界を達成することができたら、私たちは成功することとなります」

この疑問が少しずつ、次第に私の中で大きくなっていった時点で、既にUBIモントリオールの思う壺だったのかもしれない。

罪の解放に固執するジョン・シード

兄弟の中で一番下のジョン・シードは、略奪や誘拐をして信者を増やす、教団の「顔」だ。
しつこいほどまでに贖罪を促すのは、彼自身もまたなにかしら罪の意識を持っていることからくる罪悪感のようなものだろうか。
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ゲーム中、「お前の罪は憤怒だ」と主人公にジョンは言ってくる。これは主人公がチームのメンバーに危害を加えられたことに対することではなく、プレイヤーに対していっているのだと私は感じた。
この後述べるフェイスもジェイコブも、主人公という個があまりにないがために、プレイヤーについて投げかけるための媒介でしかないかのような扱いを主人公にしている。
これが上で述べたように、主人公の個性を極めて薄くしたことを逆に利用したことだ。主人公イコールプレイヤーであることをまた他の物とは違う方向で成立させた。
そして、「憤怒」はプレイヤーがペギーたちに向けて振るった暴力の事だろう。
「お前は俺らが悪い奴だからと言って暴力を行使しているが、それは俺らのやっていることと変わらないよな?それから目を背けるのか?それが罪だ」と言いたげだ。
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そして彼は言うのだ。"SAY, YES"と。
こうした漠然とした不安を煽ることはカルトの手段としてあるといわれたらそれまでだが、ゲーム的手法に使われていると考えると、中々興味深い。

手を差し伸べるフェイス・シード

フェイスは幻覚世界での対話が主だ。彼女は自分もヤクにまみれていたが、ファーザーに会ってから変わった、今は幸せだといってくる。
彼女の甘い囁きはとても心地よく、「祝福」の効果も考えればあっという間に骨抜きになるだろう。
しかし、プレイヤーには通じないことへの歯がゆさゆえか、どうして聞き分けがないんだといってくるようになる。

「私たちがなにをしてるのかわかってる?それともただの無関心?あなたはあちこちで何の悪意も持たない人たちに暴力をふるって―――」

そして彼女はまるで全てを知っているかのように

「あなたが信じてないのはわかってる」「でも、それがこの話の結末」「あなたじゃ変えられない」「あなたのお友達(レジスタンス達のことだろう)は…恐怖心の言いなりなのね」

そして、フェイスは彼女が堕とした保安官、マーシャルとの対話をさせる。
そこでマーシャルは興味深いことを言い、これはこのゲームにおいてかなり評価すべき点じゃないかと個人的に感じている。
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「これまで…自分の人生を考えてみたことはあるか?
 実際に、何をしたかをだ…どうだ?うーん…。
 人は何にでもなれるって言うだろ?あー…人気歌手…スポーツ選手…映画スター…
 誰でも成功できるってな  だがな…それは真実じゃない。
 ただ、人に言われたことをこなし、平凡な、人生を生きてるだけだ…
 来る日も来る日も… 自分に意思があると思ってるが、違う。
 なあ、命じられたこと以外を最後にしたのはいつだ?求められてる?だがそれは…
 お前の人生じゃない。奴らの人生だ。
 自分で選んでると思うだろうが…それは嘘なんだ。幻想だ。
 はあ…俺は、もうたくさんなんだよ…。イエスマンは、もうたくさんだ…。
 使い走りも下らないゴミ拾いも、もうたくさんなんだよ。
 全ての事が…もうたくさんだ…
 だって…そんな人生なんかに…何の意味があるんだ?ここでなら、
 自分にはずっと無縁だと思っていたものに手が届きそうなんだ…
 幸福に…
 結局のところな、本当に重要なのはそれだけだろう? …幸福だ。」

額面通りに受け取るならマーシャル保安官が受け入れた故の彼自身の人生を振り返る言葉にも見えるが、「下らないゴミ拾い」やら「使い走り」「自分に意思が~」の点でハッとした。
まさしく、今ゲームをやっている自分に対する皮肉にもとれるからだ。
これまで3でも4でも、宝箱を開けてゲーム内通貨や弾薬を手に入れるコレクト要素があったが、意味が到底あるものではなかった。
それをゴミ拾いと揶揄し、受け取ったミッションを言われるがままにこなすゲーマーを皮肉る意図がもしあったならば、これ以上ない効き目の台詞だからだ。
マーシャルは、「意味の見出せないミッションこなし」や「収集要素に躍起になる」ことに嫌気がさしたゲーマーを表現した姿なのかもしれない。
ペギーに関わらない―――つまりゲームから手を置くことが正解だとするならば、逆にこのホープカウンティという魅力的な舞台を用意しゲームを離れさせないよう仕組んだことは、あまりにも意地悪だ。
マーシャルを祝福から引き離す――、このゲームに戻したことで彼は、結局自決の道を選んでしまった。
そして、フェイスを倒し、彼女は言う。「まだ理解してないのね…自分がなにをしているか…」と。
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ゲームを進ませれば進ませるほど、ジョセフを倒すことがハッピーエンドにつながるのかすら疑問になってきたのはこのころだったかもしれない。
自分が悪いのか?カルトが悪いのか?その不安を拭いたがるかのようにレジスタンス仲間たちから言われる、こそばゆくなりそうな励ましの言葉。
「あなたはすごい」「今ならあなたを信頼してる」
なんとも不気味だ。この不気味さが拭えないままプレイヤーは、進んでいくので、フェイスは最後に取っておくべきだったかもしれない。とさえ思った。

"間引く"ことを厭わない、ジェイコブ・シード

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彼の思想は単純だ。ジョセフの言う通り「崩壊」が行われる。
なら強い奴が「崩壊」で生き残れるよう、弱い奴は淘汰されるべきだ。 軍役上がりの人間がカルトに染まるとこうなるという感じなのだろうか。
彼の言う「大丈夫、すぐに出られる。自由だと思ったか?」はこのゲームの自己批判のつもりだろうか。
捕まっては解放が多いこのゲームで、こういう言葉が発せられるのは少し興味深い。 f:id:pado2donpan:20180430022334p:plain
そしてこう言う。「お前は英雄ではない」
正直、Spec Ops:The Lineのときのように自分がどんな相手に対して銃を向けてきたかを自覚し、どの相手に白燐弾を撃ち込んだかなど、そういった経験をもとに表示される皮肉と比べると重みはないと感じてしまう。
しかし、このゲームで皮肉はジョンでもフェイスでも言われまくるので、むしろ陳腐に言い放ってメタフィクションに対してなにか言いたいのかとすら勘ぐってしまった。
彼は他2人兄弟と比べると地味で、あの何回もやらせる撃ち倒すやつも、イーライへの感情移入が多くなく「あー、撃っちゃった」程度に捉える人も多かったのではないだろうか。
一番彼の台詞の中でおっ?と思ったのは最期の、「何を築き、何を達成しようと…人は破壊する。何の疑いも抱かずにな…」
位だろうか。でも、ボス戦としては地味だけど現実味があって好きだったよ。
一方で、ジェイコブとの争いで助けるべく関わったプラット保安官は、別人になってしまった。
FarCry4のレジスタンス側をオマージュしたかのように、新たなジェイコブが生まれてしまったかのようだった。
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自分が動いたばっかりにこうなってしまったのか、ということを考えると、少し罪悪感は生まれた。

全てを見通し嗤うジョセフ

ジョセフは結局、どのEDでも勝つのだ。

――――言っただろう、私は神に守られていると。

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シード兄弟との対決を終えるたびに主人公、いやプレイヤーに話しかけてきたジョセフ。
彼との対峙のとき、彼はこういう。

「君の仲間は拷問された。君のせいだ。
 多くの人が死んだ。君のせいだ。この世界を止められないのも君のせいだ。
 ―――――満足したか?
 いつになったら銃で解決できないこともあると理解する?」

いや、この期に及んでそういうこといってくるかあ~~っ!とも思ったけど、ファーザーの言う通り最初から手錠をかけなければ、もっといい方向に進んだのかもしれないと思うと、胸に突き刺さる言葉だ。

「ジョンは間違っていた。君の罪は「憤怒」じゃない
 君は自尊心を満たすためなら、世界すら犠牲にする」

いままで言ってきた言葉は無駄だったようだね、と言われるかのような言葉だった。
プレイヤーは最後にもう一度選択を迫られる。
ここまで来たが、引き返すか、それとも、ジョセフと戦うか。
多くのプレイヤーは戦うを選ぶだろう。なぜなら、そうじゃないとこれまでにこぎつけた数十時間は何だったの?となるからだ。
そして「戦い」が終わっても、山の向こうでキノコ雲が起こり、彼はこういう。
「これで終わりだ」
最終的に待ち受けるは、ファーザーと主人公とのエンドです。 f:id:pado2donpan:20180430030024p:plain
ダッチの部屋にあった星条旗がペギー仕様になっていたこと、ジョセフが戦う前に「祝福」をばらまいていたことから、核云々は全て主人公の幻覚ではないかという見方もある。
どちらにせよ、ハッピーなエンドというものはありませんでした。

全体が霧がかっていた今作

正直、今作は皮肉を言える立場とは相反する人間から出る皮肉、下手したらカルトよりぶっ飛んでいるイカれたレジスタンスたち、なにもかもが滅茶苦茶だ。
カルトとその教組、そしてそれを信奉する人間たちという狂気の象徴を語るにしては、あまりになにが伝えたいのかが伝わりにくいことが多かったです。
ジョセフは最後まで狂気にまみれていましたが、彼が事前に「祝福」をばらまいたことによってすべてが靄がかってしまいました。
全ては幻覚だったのか。あるいは、あのヘリが墜落した時点で主人公たち、少なくとも主人公は既に死の淵におり、今まで起きたすべては夢まぼろしだったのかもしれない。
あの時、手錠をかけなかったら…なんてEDも用意されているあたり、少なくとも「お前が介入しなければ」といった言葉は、真実味を帯びてくる。
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プレイヤーに疑問を最初から最後まで残しつつ終える、これは後味が悪いと言われてもしょうがない部分はあります。
一方で、UBIというAAAのオープンワールドゲームを幾度も手掛けてきたところがこういうものを出してきた、という点には一考の余地がある。
彼らの狙いは何だったのか、メタフィクションに対してなにか一石投じたかったのか、はたまたシリーズの限界を感じたのか?
そういえばこんな台詞を言わせてるサブミッションもあった。
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ハークのミッションは政治で平然と選挙活動で汚職みたいな皮肉の話があったりと、全体的なものが一貫していないのも少し気になるが、
このご時世にタダでは終わらないぞというようなゲームを出し、なにを伝えたかったのか、私はもう少し考えるべきかなと感じた。
ホープカウンティは、魅力的な風景とは裏腹に、中身は不透明なものが多い舞台だった。
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