Far Cry New Dawn レビュー。「崩壊」 後も消えぬものは何であるか。

※この記事には FarCry 5, FarCry New Dawn について多くのネタバレが含まれています。ご注意ください。
FarCry 5は結局 UBI がどういう意図を込めたのかははっきりとはわかりませんでした。一方で、何かしらの皮肉、そして何をプレイヤーに思わせたいかは
ふんわりとですが伝わっており、これらが何なのかを考えることには意義があると思っていました。そんな中、FarCry 5 のほぼ続編と言っていい Farcry New Dawn が発表されました。
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5のプレイヤーは多かれ少なかれ何かしらの疑問を抱いたはずでしょう。
「なぜあれの続編を?」「あの核戦争EDのもやっとした終わり方からきれいに収拾付けてくれるのか?」などと。
筆者は「あれはああいう終わり方でも良かったと思っていただけになぜ後付けを行う必要が?」と懐疑的でありました。
さて、そんな New Dawn は果たしてどこに向かったのでしょうか。「崩壊」が行われた、ということは少なくとも事実となりました。
保安官がエデンズ・ゲートに干渉することなく終わることも、ジョセフ・シードを前にして引き返す可能性も無いものに。
ゲーム内容も交えて書いていきましょう。

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ゲームプレイはシリーズ踏襲。よりリプレイ性の高いものへと

基本的に FarCry 3からシステムの大幅な変更はこれまでされておりません。
かといって決してマンネリしきっているというわけでもありません。少なからずけれども確実にシステムの改良はシリーズを重ねて行われているのは
シリーズをやっていれば分かるかと思います。
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New Dawn では、レベルシステムに近しいものが導入されました。これによって敵、武器、基地のランクが3~4段階に分かれ、敵の体力にゲージが表示されてヒットすると数値が出るように。
体力ゲージ可視化はさほどあってもなくてもどちらでもいいものでしたが、ランク制に関しては、これによって大きく基地攻略やサブイベントの面白さが変わりました。
基地攻略はこれまでのシリーズでは基地の配置箇所と攻略の進行度をある程度同期させており、より難しい基地には序盤のマップ位置からは大分遠ざけられたものでした。
それ故にもう一度基地を攻略したいと思った場合、一度基地の攻略進行度を一部なり全部なりリセットしなければなりませんでした。
ところが今回はどこでも最初からいけるというオープンワールドゲームの長所を改めて見直したのか、基地に全てランク制度を設けました。
これによってなんども攻略可能、かつより難易度の高い基地攻略を楽しめるようになりました。
それに加えて今作ではポストアポカリプス故か資源という概念ができたため、基地攻略や探検によって資源を獲得し、獲得した資源で施設や武器をアップグレード、より高いランクの攻略といったサイクルが実現しました。
しかし武器の表示が若干分かりづらくサイレンサーがついてないのにステルス武器扱いというスナイパーライフルなどもあり、UI的な面での改善すべき要素はもちろんあるでしょう。
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それを踏まえても、これまで基地攻略はどうしても1回やったら終わりという形になってしまうことが多かったために、何度も攻略したくなるようなシステム周りが構築されると全然違うというアプローチをしてくれたことは、
今後のシリーズにおいてもまだまだ進化の余地があることを教えてくれた気がします。
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「崩壊」からそのあと

「崩壊」後の世界はまるで生まれ変わったかのようで、幻想的な世界でした。生き残った人たちが数少ない資源で精一杯暮らす平和な世界となっていました。
逆にホープカウンティの外は、荒廃と淀んだ色で包まれています。かつてあの防衛戦を行った警察署のような、5のロケーションを訪れると、あまりの人気のなさに不気味さすら感じます。

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ホープカウンティの最北、源流となっている滝にはかつて「祝福」が詰まっていたドラム缶が転がっていた。これが何を示すかは、プレイヤーの想像次第だ。
まるで5以前、そして今のホープカウンティ以外は認めないかのように。そんな中で活気ある人達はつつましく生きているのです。
ハイウェイマンとエデンズ・ゲートの生き残りたちを除いては。
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ハイウェイマン、ミッキーとルー。

彼女らハイウェイマンはおあつらえ向きと言わんばかりの悪役です。彼らは略奪や場合によっては人を殺めることも厭わないような連中です。
そんな彼女達に立ち向かうのはプロスペリティ、あるいはホープカウンティに「崩壊」前後も住んでいる人達です。
筆者はハイウェイマンたちを最初拠点を定めずひたすら転々とし、略奪行為を繰り返し生きるだけの世紀末らしい人たちだと考えていました。
しかし、FarCry フランチャイズであるが故のシステム、もはやおきまりのようなものが彼らをそうではさせなくします。
ハイウェイマンを指揮するミッキー、そしてルーの2人の姉妹は序盤はあれだけ残忍でかつ執拗にすら見える面を見せるのにもかかわらず、
ミッションが進むまでいくら拠点やコンパニオン、プロスペリティ用のキーマンを解放しようと、条件を満たさなければ彼女らは全く介入しません。
5のときに強制でメインミッションに移行させたことによる批判が大きかったことからなのか、いくらホープカウンティからハイウェイマンの脅威を排除しようと
彼女らはメインミッション内以外で主人公へと介入することは一切しません。
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こんなことで「お前が関わってこなければ上手くいっていたんだ」は、もはやどちらが侵略者側でどちらが居ついている側なのかわかりません。
相も変わらず敵側なんかよりヤバいんじゃないのかと思わんばかりの味方も多数います。
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そしてなにより驚きだったのはハイウェイマンたちもきちんと享楽にふける余裕があるまでに上に存在する人間と、そうでない人間とで分けられていたことでした。
彼らはコミュニティ内できちんと階級分けがなされ、ハイウェイマンでないものたちから搾取するという条件付きですがシステムが確立されていたのです。
ミッキーとルーに絶対的リーダーとしての威厳をメインミッションからは感じとれることは少なかったのですが、こう回っているということは少なくともハイウェイマンは
なんだかんだ上手くやれていた連中だったのかもしれません。搾取、略奪をしているということを除けば…。
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最終的にそのシステムを悉く破壊され、そのきっかけとなったプロスペリティ側の主人公とニューエデンの結託から、ミッキーとルーはニューエデンを襲うようになりました。
ラッシュの死もそうですが、あまり感情移入のしきれていないロケーションや人物が亡くなったところで思うことはあまりないのです。
ですが流石に彼女ら2人の死に関しては考えました。ルーが死に、ミッキーに関してはどうするかです。
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筆者は結局彼女を撃ちませんでした。最早放っておいても時間の問題だろうし、そもそもこのころにはあの男の登場によりこの姉妹への興味がほとんどなくなっていたのでした。
そう、ジョセフ・シードです。

かつての最後の敵は今

さて、5とNew Dawnを結ぶ鍵、それはこのホープカウンティ、そしてジョセフ・シードです。
彼は「崩壊」後、ニュー・エデンを創り、信徒を導いていました。
しかし今はホープカウンティ北の、とある滝の近くで隠居しています。
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彼は主人公のような人間を待っていました。新たにニュー・エデンを導くのを手伝う、いや直接導く存在を。
そして禁断の果実を食べさせます。それはかつての「ファーザー」にとってかわらせるためか。
なぜこんなことをするか。それは彼は絶対的指導者としての自信を喪失していました。その理由は、彼に息子であるイーサンが誕生したことです。
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ハイウェイマン姉妹の話もそうですが、このゲームには少なからず「親子」がひとつのテーマとしてあげられているのはプレイすれば明白でしょう。
この果実がなんなのか、具体的なこれだと言えるものは分からないでしょう。ただ、ジョセフ曰く「貪欲な獣と相対し、これに打ち勝つ者こそ神の恵みに値すると悟った」とのことでした。
所詮狂人の戯言としか思えないことですが、それを食べることで主人公はおなじみの幻覚世界にご招待され、確かに「獣」と相まみえ、打ち勝ちました。
そこからジョセフは主人公を指導者の器と感じ取り、ニュー・エデンに帰還しました。
さて、なぜこの果実を息子に食べさせなかったのか。食べた結果がどうなったかはプレイした人ならわかっているでしょうが、異形のものと化してしまったからです。ジョセフのいう「己の中の獣」に打ち負けたのでしょう。
そのことをわかっていてかそれともただの心配からなのか、ジョセフは子供のころからイーサンに決して果実を与えませんでした。

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息子を咎めたジョセフは狼狽する。それは、何より自分が「エデンズゲートのファーザー」ではなく、一人の父親としてふるまってしまったことへの恐怖からかもしれません。

こうして彼は「エデンのファーザー」としての絶対的自信を無くしたのかもしれません。親でありながら、一人の子の親として振る舞うことへの躊躇いと葛藤。
そうしたことからも隠居を選んだ理由かもしれません。彼は「皆のファーザー」でなくなる可能性を危惧していたからでしょうか、イーサンに全てを任せてしまいました。結果的にそれが裏目になるのですが…。
主人公が現れたことは、イーサンへも影響していきます。ジョセフの葛藤などいざ知らず、彼は何より敬愛していた父親が自分より主人公を選んだことに、ひどく腹立てました。
そうして彼は自分の力を「ファーザー」に見せつけるため、果実を口にします。
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結果はご存知の通りです。ジョセフは悲惨な最後に、もはや一人の親として、狂人として、かつてのエデンズ・ゲートの指導者としてこう、言うのです。
"RELEASE ME."

筆者からしてみれば、いえどんなプレイヤーでも5をやっていれば彼の葛藤などは知ったことではありません。
それどころか終わりは滅茶苦茶にされ、彼の思うように進みなにも良い方向にいかず、最終的に自分が苦しみから解放されたくなったから撃ってくれ。
これほどまでに自分勝手なキャラもそうそういません。だからこそ、筆者はまたもやトリガーは引きませんでした。
今度は確固たる意志がありました。そのまま苦しみを背負うべきなのだと、あなたはプレイヤーに責を負わせすぎたのだと。
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あれだけ余裕と絶対的強者のふるまいをしていた人間が、その拒絶をされたときの振る舞いは痛快で見事なものでした。
ここまでUBIは狙ってやっていたのだとしたら、あっぱれとしかいいようがありません。

そして、保安官

「崩壊」後、ジョセフとともに忘れてはならない人間がいました。
そう、「保安官」、前回の主人公です。
彼はプレイヤーの映し鏡であり、なにより個性などあってないようなものでした。
しかし、とある小島のとある日記にてそれは変わります。
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彼は「俺のやったことは正しかったのか」と自問自答するようになります。暗く狭いバンカーの中で、何日も何日も何日も。あの狂人と同じ空間にです。
それは最期のプレイヤーとのシンクロだったのかもしれません。筆者も5でこの思考は陥りました。こうしてやり直し、エデンズ・ゲートの干渉をしないEDを見たりもしました。
しかしながらどこまでやってもあのきのこ雲ED以外、なかったのだと思い知ったときの何とも言えない感覚は今でも残っています。そうしたシンクロを、最後に保安官は起こしたのです。
そうして最終的に「保安官」は、プレイヤーとの乖離を果たします。
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「もう誰も私に命令する者はいない」おや、5でも聞いたことのあるフレーズですね。確かフェイス・シードに魅了されたマーシャル保安官がいっていたような台詞でした。
この小島は間違いなくEDより以前に辿り着くよう設計されています。なのでEDより前にみた筆者としては、ひどく絶望しました。
あれだけそれと戦ったプレイヤーの自分の分身、「保安官」がこうなってしまったのです。5は本当なんのために頑張ったのだろうと疑いたくもなりました。
しかし、ジョセフの最期を見れば、この「解放」はプレイヤーにすら促しているのかもしれません。「次は君だ」と言わんばかりに。
一方で、逆に「保安官」から教えられたこともあるとのことをジョセフが言っていたので、もしかしたら相容れないはずの両者の思想が長い年月で無理矢理交わり、変になったのかもしれないですね。
余談ですが、ジャックっていうコンパニオンがジョセフと話し合ってニュー・エデンに戻ると仲間になります。ジャックには「名無し」的な意味合いも場合によってはあるっちゃありますし、
仮面に覆われていて弓を携えていて…もしかしたらこいつは…って思いはしましたが、証拠が足りないのであくまで考察にすぎませんね。

変えることのなかった "FarCry" という柱

今回はシステム面でガラッと変えたことは少なく、マイナーチェンジに近いものでした。
ジョセフとのひと悶着もこれで終わり、ハイウェイマンとの争いも片が付きました。
一方で幻覚世界、プレイヤーへの皮肉、システム、FarCry とはこれだを残しに残した作品でもありました。
次回作でもこの「らしさ」を考えて作ってもらいたいものですが、そろそろ抜本的に変えてもいいのかなとも思っています。
皮肉も、やり過ぎると飽き飽きしますしね。自分はやり過ぎでも問題ないですが、バリエーションが似通い始めてしまうと、退屈になりかねません。
そんな、FarCry New Dawn でございました。
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