BLACK SHEEP TOWNについての感想というか思いついたモノ詰め込み。

酒飲みながら書いてました。
何をやるのだってうまくいかなくても世の中の時間ってのは常に進んでいくしその中で最良とはいかなくてもベター、及第点そういった着地点に持っていける決断をしていかないといけないときがある。
私事ではあるが、私だって明らかに性に合っていないのにやりたくもないリーダー的なものを何回かやらされていたりする。
それで「適任じゃない、お前がやってくれないか。私は降りる」が通じるのは良くて教育機関に通っているまでの話であるわけで、それ以降はそんなことされたら大概進む道を悪くさせるだけな未来が待っている。
そのため人は個々の意思に関係なく限られたリソースと知恵で責任感だのなんだのを背負いながらこなさなければならない。そんなものはごまんとあるだろう。
これから話す『BLACK SHEEP TOWN』はそんな己の意思とは裏腹に周囲の環境によってどんどん自分の進みたい道が閉ざされるのを察し、覚悟を決めてやりたくない事を冷酷にこなすキャラが出てくる物語。

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Y地区におけるミュータントと人間

BLACK SHEEP TOWN(以降、BSTと表記)世界ではまず色んな人種、色んな思想のキャラが出てくるのはもちろんなのだが特に目を見張るべきなのはこのタイプA, タイプB, ノーマルと3つに区分された生き物についてのことだろう。
まず事の前提としてBST世界にはグレートホールなる謎の大きな穴が世界各地で5つまで見つかっており、その1つが今回BSTの舞台となっている日本のY地区と呼ばれる街にある。
グレートホールってなんだよと質問されると実は既プレイヤーでも困窮する問いなのだが、とりあえず「ミュータントと確実に紐づく滅茶苦茶大きな穴」とだけ答えておきたい。なぜならBSTクリアまでにこの謎については散りばめられたストーリー内での描写から考察するしかないからで、明確な答えは教えてくれないからである。

そんなことはどうでもいいというか、いやどうでもはよくないのだがあくまでこの世界のミュータントという存在がなぜ出現したのかなぜずっと居続けるのかに対する舞台装置ではないかと私は考えている。なぜならこのグレートホールの存在はBSTにおいてミュータントそして人間が起こすドラマとは直接的な絡みがあまりないからだ。そもそもBSTにおいてグレートホールの謎は!?だったり世界にミュータントが蔓延った原因は!?真実を追求し、世界をもとに戻すだったりとそういったいかにもなキャラクターもストーリーもやろうとはしていないのである。
BSTではY地区がありのままに存在しそこにありのままでミュータントや人間達の生き方が書き綴られている。群像劇がメインになるためあくまでSF的な要素はそれらを引き立たせるためのものでしかないということで私は受け止めた。しかしながらそうなると発生するのが「これって○○じゃなくてもいいのでは?」問題ではあるのだが、見事にそこに瀬戸口氏は彼らミュータントの在り方であったり人間の生き方であったりを描き切っている。ここら辺に関しては素晴らしいとしか言いようがないだろう。最も、私は瀬戸口作品は初めてであるから彼の作品の切り口が毎回こういった形なのかは把握していないし、またこれをSF作品として推せないという点では残念であるのだが。
話を戻そう。上記していたミュータントというのは、グレートホールが世界に発生した際になぜか同時に出現されたとされる生物だ。タイプA、タイプBと区別されていてタイプAは所謂サイキックに分類される。テレポーテーションだったりテレキネシスだったりを手に入れた生物だ。タイプBは純粋な身体強化で、人間ならタイプAやノーマルとは一線を画した身体能力を得られる。

基本的には人間がそういった能力を得た生物をミュータントと区別されており、BSTの舞台であるY地区ではこういったミュータント、ノーマルでの対立といった構図も描かれる。
BSTはネームドのキャラクターが数多く登場し、しかもストーリー上無視してもいい人物というのがほとんど存在しない。なのでいきなり結婚式のシーンからスタートし、これがギャングの娘の結婚式でありこの世界はミュータントであり…といった情報がゲームスタート早々一斉になだれ込んでくる。しかも覚えづらそうな固有名詞がなかなかに多い。
別にそのチャプター内で覚えなくてもそのあとのストーリーでも説明されるしTipsでもいつでも見直されるのだが、それでも覚えるのが大変である。筆者がこのゲームをプレイしていた時の中で唯一積もうか考えたのは序盤の情報の洪水が起きたときだろう。
そもそもの話ただでさえ多種多様なキャラがおり、そこではネグロイドコーカソイドモンゴロイドもいてさらにその人種の中からタイプAタイプBノーマルといるのでY地区は人種のサラダボウルどころの話ではない。その中でタイプBの差別はどうこう話をするんだから大したものである。しかもタイプAタイプBの設定の中には異形体質についての話もついてきたりする。どこまで詰める気なんだ瀬戸口廉也氏。
それはさておきタイプBについての描写には今まで差別されてきた人々も少なくないという設定がある。これの反動によりタイプBが事件を起こすのだが、これがまた珍妙である。タイプBの関連エピソードは、過激すぎて同じタイプBからも怪訝な目で見られたり、それは解決したとしても虐げられる構造が逆転するだけで何も意味ないのではと思わせたりとどこか滑稽なさまをみているように感じられるのは現実にも通ずるというか、既視感を覚える描写だったのは瀬戸口氏は狙って書いたのだろうか。だとしたらあまりにも皮肉が効いている。
とにもかくにもそういったミュータントと人間が共生している世界の、繫華街Y地区で起こるギャングたちにまつわる事件を中心とした話がBSTである。

やるせないキャラクターばっかりだ

BSTのキャラたちはどいつもこいつも個性的なのだが、どうにもこのY地区という場所に呪われてるのかと言わんばかりに縛られたキャラが多い。メインキャラの謝亮なんかは筆頭だ。
突然親戚の結婚式に呼ばれたのをきっかけにY地区に戻らざるを得なくなり、親が危篤だからしばらく滞在する羽目になり、あげく学者になりたかった(なりたかった理由はおそらく松子についてのこと)のを捨ててギャングの道を進むことを決意してしまった。
彼の周りを考えて、彼の妹を守るために自己を全てを捨てた。ギャングになって仲間に囲まれたが、心中はずっと孤独だったと考えると悲しいキャラである。
謝亮と幼馴染みの見土道夫はさらにどうしようもない。もともと彼はよりY地区をいい街にしていきたいと細々とグレートホール饅頭を売り続けていたにもかかわらず、気づけば転落人生。流れるように悪事に身を染めていくのは見ていて哀れにすら感じた。
最初は楽観的でこのギスギスした世界の清涼剤とでも思っていたのに、中途半端に裏の世界に足を突っ込む快く思わないキャラになると同時に、道夫はラジコンのように言われるがまま裏社会の人間と関わりを持ち、それでも意味のない理想と自己を持ち続けている。同じタイミングですべてを捨てて現実を見つめることにした謝亮とは真逆だ。もちろん最終的にいいキャラと思えるようにはなったが、途中までフラストレーションが溜まるキャラであったことは確かだ。
灰上姉妹もそうだ。殺人鬼と手を組んでとあるキャラを殺してしばらくはこの子らに関してずっとよくない印象を持ち続けていたプレイヤーも多いのではないだろうか。この姉妹はあからさまに序盤ヘイトが溜まるように作られている節すらある。その上彼女らの自分本位な主観を最初のうちに書いた後、しばらく視点が彼女らに移ることがなくなるのだ。これのせいでずっとそのマイナスイメージが続いたまま中盤以降に入るのだが、この作品はそれだけで終わることはなく最終的にこの姉妹もよくできたキャラだったと褒めるべき落としどころを作っている。
そのくらい、この灰上姉妹というのはこのゲームで重要な役割を果たすため、どうにかプレイするなら最後までやってから嫌うかどうか決めてほしい、とは切に願う。
またやるせないけど魅力的なキャラと言えば医者の太刀川は忘れられない。彼の生き様を最後まで見て、つらくなって「このゲームプレイするの中断していいかな!?」と思ったくらいにはつらかった。ただし、彼の最後の心中は今までの行動を振り返ったうえでああいう心情を描かれてしまうともう"ズルい"の一言に尽きてしまうほどには、魅力的がすぎた。どうでもいいけどsteamライブラリに移るゲーム画面でずっと太刀川の眼球が表示されてるのビビるからやめてほしい。
好きなキャラというか嫌いなキャラがほぼいないのだが、敢えて好きなキャラをいうなら謝亮、馬世傑、エリーホワイト、松子、さくら、太刀川、灰上、路地、堂島、エリオット、広美。というか馬世傑についてはもう少し掘り下げくれないかな…いや本編で掘り下げが足りないわけじゃないというかなんでアレをアレしたんだろうとかふわふわとした考察はできるけどこいつはこうだろって断言はできないキャラっていうか…
システムとしても各キャラを示すようなアイコンを選んでそこからエピソードを選んで読んでいくザッピング形式なわけですが、これがまたなにから読んでいけばいいのか悩ませる。あのキャラの話の続きが見たい!けどアンロックされてないからこのキャラのエピソード見ないといけないのか…→このキャラ愛着抱いたわ!みたいな感じで結局ストーリー追うなら各キャラの視点を見ていくわけで、好きになるキャラが多くなるのは必然なのだろう。
ちなみに謝亮の妹についてはこのツイートで察してほしいです。

演出がストイックすぎる

大分最近のビジュアルノベルとは真逆の路線をいっていたと思う。ビジュアルもキャッチーとは正直程遠いしサウンドも耳に残るものは多いもののそこまでといったものでもない。というか滅茶苦茶「引き算」で作ってるゲームな気がしてきました。
このゲームテキスト読むときになにもBGMがない無音状態かなりあるんですね。バグでもなんでもなくて、もしかしてテキストのみに集中させたいというか意識を向ける場所を絞りたいがためにやってるのか?みたいな箇所が多々ある。
演出も昔ながらの血しぶき描写だったりとオールドなものばかりです。太刀川の能力行使のときにだけちょっとこった演出が見られたくらい。
単に予算の都合なのかはたまた狙ったのかわからないですが、結果的にひたすらテキストの力だけで殴ってしかもそれが成功している状態になってるゲームだと思ってます。正直言って驚きました。
もちろんBGMなしの演出なんてのはどのノベルゲームでもやる手法だとは思うのですが、やる場面って本来大分限られるんですよね。でもなぜかわからないですがこの作品滅茶苦茶BGMなしシーン多い。どういうことなんですかね。
あとこのご時世完全にノーボイスで挑んでいるのもテキストの流れ方がオールドスクールなのも非常に時代から逆行したゲームだと感じました。でもなぜかうまくいっている…テキストと適切なスチル、BGMがあればいいしその掛け算で最大限のポテンシャルが出た例なのかもしれない。というか大体テキストの力でなんとかしているので、これでライターのテキストが上手くいっていなかったら過去のやり方に囚われた凡作にしかなっていないんですよね。恐るべしというべきなんでしょうが。

瀬戸口作品はじめてだったけど

意外とすんなり受け入れられました。というより、思いの外「へ~こういう特徴のある書き味なんだ」みたいなのがあまりわからず(単純に筆者が活字読みから離れ始めているからもあるかもしれない)、Twitterとかで「これぞ瀬戸口~!」みたいなのを見たときも全くわからなかった。
ここらへんはすでに「SWAN SONG」を購入しているので、もう少し特徴つかめたらいいなと思います。
ただ、このBSTの世界の描き方を見てて思ったのは、話が「Aという過程があるためBという結果に着地する」という進め方をするのにすごくドライで、例えばプレイヤーが愛着湧き始めたなって思い始めそうなキャラを死なせることに躊躇がないし引きずりもほとんど行わない。無常な世界を書くのがうまいんでしょうか。
「こういう理由があるからこのキャラが死ぬ」のは当然で、「そりゃそうだけどそうはならないような展開になってきた!」みたいなどんでん返しがほぼ存在しない。当然なことは当然として帰結させることが多い。だからあまりにも強すぎて太刀打ちできるようなキャラがいないレベルの恐ろしいミュータントが現れた時にはどのキャラでも死ぬ可能性はあると思い知らされるわけで、プレイヤーとしては恐怖でもあった。敵としてエンカウントした瞬間そのキャラ死亡がほぼ決まるのだから。

最初の道夫対人食いトラとの対決でも、勝負を決めたのは道夫の能力ではなく機転を利かせて持ってきたトラックを謝亮が思いっきりトラにぶち当てたからである。BSTは割とSF寄りの能力バトルとしても描写するシーンがあるのだが、ここら辺の書き味は非常に新鮮だった。
だが現実的な描写ばかりでもなく、もちろんミュータント同士の戦いの場合はきちんと能力バトルものっぽく描写しているので、そこも面白いといえた。マリアの能力説明少しわかりづらかったけど。
あと上述したように割といつ死ぬかわからないというのに、キャラクターに愛着を持たせるのが非常にうまいと思った。BSTではネームドだけでも数十人キャラが出てくるのだが、ストーリーのメインラインにかかわってくるキャラクターへの掘り方、絡ませ方がよくできていた。筆者も最初はこんなにキャラがいて群像劇うまくいくのかとかそもそも私がキャラ覚えられるのかとか思っていたが、完全なる杞憂だった。最初の結婚式シーンの時点で「この物語は血みどろの話だけど…」的な導入の時点で察するべきなのだが、そこからミュータント設定やらボンボン積み上がるせいでうっかり抜け落ちちゃうんですね。
つまるところ「メインキャラでもあっさり死ぬから油断できない」けど「ストーリーの組み立てが上手いからキャラに愛着持つ」ので苦しむわけです。いやあ本当よくできている。DAY113は許さんけどな。
DAY113は許さんけどな!!!!
あとは単純にキャラごとの喋らせ方がうまいというか、ト書きと台詞の使い分けが非常に明快でよくできていた。さくらなんかはいい例だろう。
ぶっちゃけ、人を選ぶ空気は感じているし、というよりトレイラーが全然再生されてなかったりsteamストアページの説明も滅茶苦茶ざっくりだったりと売る気あるのかと苦言を呈したくなるレベルではあるが、これが瀬戸口作品入門でもなにひとつ問題のない作品であると思う。
先日『ヒラヒラヒヒル』というタイトルも発表されたので、予習のためにBSTをプレイしてみるというのも滅茶苦茶アリ。

久し振りに描いたけど

今まで書いていたやり口とは少し変えてみました。なんかこれはこれでありかなとも思いつつ、自分にはエモーショナルな文章よりシステマチック寄りの方が向いてるのかなとも思ったりしました。
面白い記事はいつかけるようになるんだろう。
そんなこんなでまた会いましょう。